かつて、日本は西洋に学んだ
明治のころ、日本には「和魂洋才(わこんようさい)」という言葉がありました。日本の心を保ちながら、西洋の技術を取り入れる。刀を鍛えた手で機械を動かし、着物の国に鉄道を敷いた。魂は日本のまま、才は西洋から。近代日本は、この構えで世界と向き合ってきました。
その姿勢は正しかったし、今も私たちの中に息づいています。けれど、ワインの世界に立ったとき、私たちはふと、この言葉を裏返してみたくなったのです。
セパージュが掲げるのは、その反転
洋魂和才(ようこんわさい)。
西洋の酒が宿す"エスプリ(魂)"を、日本ならではの審美眼と美意識(才)で選び、磨き、届ける。魂は世界のワインに、才は日本の感性に。それが、私たちセパージュの掲げる姿勢です。
ブルゴーニュの畑に降る雨、シャンパーニュの地下で静かに熟成する時間、ボルドーの造り手が何十年と守り続けてきた哲学。そうした一本一本に宿る魂を、私たちは日本人の目で見つめ、選び取る。
引き算の美学、余白を尊ぶ心、調和を重んじる感性。日本が長い時間をかけて培ってきた「美を見極める眼」があるからこそ、世界の膨大なワインの中から、本当に届けるべき一本を選び抜くことができる。私たちはそう信じています。
私たちが届けるのは、ボトルではない
ここで、はっきりと申し上げたいことがあります。
セパージュが届けるのは、一本のボトルではありません。
その奥にあるものです。ぶどうを育んだ土壌。土地が刻んだ個性。造り手が注いだ想い。そして、そこに滲む人間味。ワインとは、液体である前に、一つの物語です。誰が、どんな土地で、どんな信念のもとに造ったのか─その全体を私たちは「一本」と呼びます。
だからこそ、私たちがもっとも大切にしている言葉は、これです。
ただの味わいではなく、その奥にいる人を感じる。
グラスを傾けたとき、そこに造り手の顔が浮かぶ。畑を渡る風が見える。そんな体験こそが、ワインを飲むことの本当の豊かさだと、私たちは考えています。ラベルの有名さや点数ではなく、その奥にいる「人」を感じてほしい。セパージュのすべての仕事は、この一点に向かっています。
畑から、食卓へ
この哲学は、決して抽象的な理念にとどまりません。私たちは、それを三つの具体的な「旅」として実践しています。
ひとつは、土壌に寄り添う旅。「自然派」「ナチュラル」といった言葉を掲げることなく、土壌を尊重して栽培され、ひたむきに味わいを追求して造られた、オーセンティックな一本を発掘すること。
ひとつは、人に寄り添う旅。個性と想いある造り手が手がける一本一本を、人間味あふれるチームで丁寧に届けること。造り手と日本をつなぐ、つなぎ手となること。
そしてもうひとつは、歓びに寄り添う旅。私たちが届けたいのは、ただの飲料ではなく、「飲む」という行為が歓びに変わる、あの瞬間の感動です。
この三つの旅については、これから一つずつ、じっくりとお話ししていきます。