【マラガ古来のペドロ・ヒメネスとモスカテルの復興】
ビクトリア・オルドニェスが物心ついたときから、ワインは彼女の人生の一部だった。彼女の父、ホセ・マリア・オルドニェスはスペインワイン業界のパイオニアで、50年代からマラガ州全域に高級ワインを販売していた。ビクトリア自身のキャリアは別の方向に進んだが(医師になるための勉強をし、医学博士号を取得)、2004年にワインビジネスに参入することを決意し、当初は医療サービス管理者としての仕事と両立してていた。
ヴィクトリアは、共にマラガのワインを造ってきたオーストリアの醸造家、アロイス・クラッハーに2007年に彼が亡くなるまで、すべてを託していた。この時、彼女のキャリアは新たな展開を見せ、情熱の対象であったワインの世界だけに集中することを決意した。2015年、彼女はマラガのワインの歴史の中で最も象徴的な在来品種、マラガ山地自然公園のペドロ・ヒメネスを、エコロジカルで持続可能な方法で回復させるプロジェクトを実施することを決めた。彼女の息子で農学者のギジェルモ・マルティン・オルドニェスは、この事業で彼女とともに働いている。彼は技術的な視点を持ち、ワイナリーの様々な醸造に個人的なビジョンと創造性を提供している。
差別化を図るためビクトリアは、マラガで栽培され、17世紀から19世紀にかけてマラガワインの名声を高め、国際的な名声を獲得した卓越した品種であるペドロ・ヒメネス・デ・ロス・モンテス・デ・マラガを加えることにした。
これらのワインは、ほとんどが辛口であったが、フィロキセラの後、今日まで生産されていない。したがって、この種のワインの参考文献がないため、リスクの高い革新的なプロジェクトに直面している。
その調査作業は、それまで忘れ去られていたワイン生産地域、マラガ、カサベルメハ、コルメナールを含むモンテス・デ・マラガを探索することにつながった。実在しないペドロ・ヒメネスを見つけるために、古いブドウ畑の小さな区画を見つけるまで何ヶ月も調査しなければならなかった。
この作業には、マラガとシエラス・デ・マラガの規制委員会の協力があった。ビクトリアはペドロ・ヒメネスに加え、新たな事業においても、彼女がプロとしてのキャリアを通じて取り組み、よく知る品種であるモスカテルに賭けている。